麻酔科医になってみた。

臨床研修無事終了とともに、麻酔科医の道へ。

生きとし生けるもの

救命救急で、大事になるのはcode(コード)というもので、この患者さんが心肺停止になったときどこまでの医療を望むかというもの。

 

例えば、血圧低下時は昇圧剤を使ってほしい、挿管・心臓マッサージしてほしい、どんなことでもやってほしい。っていうのは、full code。

 

心肺停止に陥ったら、静かに看取りたい。心臓マッサージは肋骨も折れるし、呼吸器に繋がれて延命したりするのは、本人の負担になってしまうだけだから、何もしないでほしい。っていうのはDNAR(Do Not Attempt Resuscitation)

 

codeはかなりフレキシブルで、昇圧剤は使用してほしいけど挿管・心臓マッサージはしないでほしいとか、挿管しないでほしいけど、心臓マッサージはしてほしいって御家族もいる。

 

何でcodeが大事かっていうと、御家族のご意向がわからない間は、最大限できることをやるっていうのが今の医療の方針で、本当は無理な延命を望まなかったご本人や御家族のご意向があったとしても、心肺停止時にその旨が救命医に伝わっていなかったら、そのご希望とは逆の心臓マッサージだとか挿管管理という施しをしなければいけないからというのがその理由。

 

救命病棟に入院になる患者さんだけでなく、多くの患者さんにはこのcodeというものを一度伺い御家族と話し合ってもらう。

 

83歳のDNAR、42歳のDNAR、90歳のfull codeだっている。

 

救命を回っている2ヶ月の間に、患者さんのお看取りに立ち会う機会が何度かあった。

 

 

心肺停止で搬送された方

一度心拍再開したが、多臓器不全で亡くなられた方

入院中急変し亡くなられた方

 

原因は様々。

 

 

中でも忘れられないお看取りが1人。

20台後半の男性。

既往に心疾患があって、朝、心肺停止の状態で発見され、救急搬送された。搬送中、心拍再開して、つけられるデバイス全部つけて、ICUに入院。(挿管もしたし、人工心肺もつけた。昇圧剤も流したし、心臓を刺激する薬も流した)

それでもやっぱり、自己心の動きが悪くて、やっぱり今後は厳しそう。人工心肺が回っているから、今は身体に必要な血液を循環させられているけど、それをが回せるのも、持って数日という状況。

 

その旨を御家族に説明して、codeを決めてもらう方針に。

 

病院に搬送されてすぐにそんな話するなんて、酷な話かもしれない。

でもその患者さんにはそんなに時間が残されてなかったから、どうしても聞かなきゃいけなかった。

 

「現在〇〇さんご自身の心臓はほぼ動いておらず、人工心肺がお身体に繋がっていますので、それが〇〇さんの心臓のポンプの代わりをして循環を確保しています。この人工心肺が回るには、十分な血液が必要ですので、御家族のご意向が固まるまでは輸血をして、回します。」

 

御両親は涙を流しながら、わかりました。と了解してくれた。

若い息子の今の状態を受け入れることもできないのに、どうやってcodeを決めろというのか。 

 

結局codeが決まらないまま、夜に。

 

その日当直だったわたしは、救急車で来院される患者さんの対応をしていた。

 

やっと対応が落ち着いてきた頃、突然ICU病棟から叫び声が聞こえてきた。

それと共にわたしのピッチがなり、心マの応援要請がかかった。

 

「人工心肺の回路が止まったから、先生、心マしにICUきて。この方のcodeはfull。」

 

慌ててICUに行くと、御家族が泣きながら患者さんに声を掛けていた。

 

 

 

「おいてかないで!!まだ早いよ!!」

 

「戻ってこい…    戻ってこい!!!」

 

「目をあけて!!ねぇお願いだから。。。」

 

 

胸が痛んだ。

心に重りがついたように重くなって、御家族の顔を真っ直ぐ見れなかった。

 

 

「先生、お願い!!」

と、泣きつかれもした。

 

 

でも、私に出来ることは一生懸命に心臓マッサージをすることしかなく、その甲斐もなく、その方は亡くなられた。

 

 

 

 

この方の心疾患の診断はずっと前からついていて、その診断をしたお医者さんからも、今後突然死の可能性はあるって言うお話はされているはず。

 

それでも、こう言う状況になったら、御家族は受け入れられないっていうのか事実。

 

それが正直当たり前だった。

 

 

 

わたしは、医学的な面から、自己心機能はほぼなく心室細動が継続している状態で、昇圧剤、強心薬が点滴に繋がれていて、人工心肺とそれを回すのに必要な輸血を持続的に行くことでやっと保っているこの方の身体はもう限界で、もう先は長くない、持って数日と判断し、その日人工心肺の回路が回らなくなることも仕方ないと考えていた。

 

 

 

もう自己心の収縮機能がないから

 

もともと心疾患既往あって突然死のご説明もされているはずだから

 

持って数日だったから

 

 

 

いやいや、違うわ。

 

 

 

そんな医者目線のことは、この御家族にはいらなかったってことにこの状況になって初めて気づいた。

 

この状況になった初めて、自分の間違いに気づいた。

 

 

 

人の死だけでなく、生きとし生けるものの死っていうものの捉え方は人それぞれ。

 

命の尊さは、80歳のおばあちゃんも、20歳のお兄ちゃんも、みんな一緒だって、頭ではわかってるのに、なんで現場になると曇ってしまうんだろう。

 

既往があろうが無かろうが、高齢だろうが若かろうが、突然だろうが突然じゃなかろうが、人が死んでしまうことは悲しくて、泣き叫ばずにはいられない事のはずなのに、なんでそれに今気づいたんだろう。

 

その場に居合わせて、初めておもった。

 

 

医療者の目線は、自分ら間の一定の認識でしかない。

 

御家族の目線は全く違うことがあるということ、わかっていなかった。

 

私たち医者が、その人の命の価値を決めちゃいけないんだ。

 

「100歳まで生きたんだ、大往生じゃないか!」

「ベースに心疾患があったんだ、突然死はご理解いただくしかない。」

 

それは私たちの目線であって、御家族の目線とは違う。

 

これから医者をやって行く上で、絶対に忘れてはいけないこと、この御家族に教えていただいた。

 

 

 

 

 

 

「全ての命は尊い」ということ。

「その人の命の価値とは、その人に施せる医療の量ではない」ということ。

「去りゆく命に遅いことは決してない」ということ。

 

 

 

命によりそうって、難しい。