麻酔科医になってみた。

臨床研修無事終了とともに、麻酔科医の道へ。

上級医の品格 〜ネーベンからオーベンへ〜

30年続いた平成が終わり、いよいよ幕を開けた令和元年もあと2週間を残して終わろうとしている。

 

とにかく必死に麻酔をかけ続けた3年目。

1年間の経験を糧にもう一周り二周り大きくなるべく日々修練を重ねた4年目。

 

心にも少しだけ余裕ができ、自分の麻酔にも少しだけ自信ができた今年、気になること気づいたことが多くあった。

 

今日は、オーベンの先生に対して、ネーベンの私たちから言いたいことがある。

 

まず残念なことだが、医者には人として未熟で、謙虚心に欠ける人が多すぎる。

 

経験にものを言わせて、ネーベンに自分のやり方を押し付けたり、ネーベンのやり方をはなから否定してくるオーベン

 

自分は専門医で、専門医試験の勉強をしたから知っていることをネーベンが知らないからと怒ってくるオーベン

 

ネーベンの言い分を聞かず頭ごなしに怒ってくるオーベン

 

ネーベンを「できない」呼ばわりするオーベン

 

上級医の先生方も、数年前はネーベンだったはず。ネーベンの気持ちは痛いほどわかるはずなのに、オーベンになった途端ネーベンいびり。


医師である以前に人なのに、優しさや暖かさに欠けた、人に対してどうしてそんな言い方が出来るのだろうというような言葉をかけられる事がある。

 

わたしはこの様な上級医の先生は皆、反面教師だと認識している。

 

自分がオーベンになったとき、ネーベンの心に寄り添いながら指導できるオーベンでありたい。

 

ネーベンが勉強を怠ったとき、自分がネーベンのときの勉強方法を教えたり、本を貸したりできるオーベンでありたい。

ネーベンが間違った選択をしたとき、優しく理由を聞き、「確かにそうしたい気持ちもわかるけど、こういう風にした方がいいかもしれない」と言えるオーベンでありたい。

また、オーベンである以前に、ネーベンの気持ちがわかるよき先輩でありたい。


そのためには1にも2にも、謙虚心。
謙虚な気持ちを忘れず、この気持ちを忘れず、絶対に同じことをネーベンにしないよう、心に誓いたい。

 

 

 

第113回医師国家試験 ~新しい医師の誕生~

2019年2月9日・10日で第113回医師国家試験が行われ、1万人を超える医学生が受験した。私の国試の記憶は薄れつつあって、当時の感覚や臨場感をそのまま思い出すことはできなくなってしまったが、それでも、本当につらく苦しい1年間で、もう二度と経験したくないと心の底から思う。

 

今年は妹が受験生だったこともあり、より当時に近い気持ちで合格発表を待っていたようにも感じるが、妹はその何倍も緊迫した思いでいたのだと思う。今年一年は特につらく、しんどい1年で、それでも国試合格を目標に、目の前の壁を一つ一つ乗り越え、七転び八起きの精神でとにかくあきらめず前だけを向いて駆け抜けたこの1年は一生記憶に残るだろうし、何よりも自分の自信になることと確信している。

 

姉として、妹である、そして後輩である彼女にできることは一番近くで見守り励ますこともそうだが、ときには現実的な目線から厳しく叱咤激励することでもあった。「そんなんじゃだめだ。あなたならもっと出来る。今こそ踏ん張らなくていつ踏ん張る!」と妹の精神力を信じていたからこそかけたかなりきつい言葉もあった。しかし妹はその厳しい言葉に屈したり反発したりすることなく、真摯に受け止め一大奮起し緩んだ手綱を締め直してまた勉学に励んでいた。そんな姿を見て、こんなにも真剣な妹を見たのが初めてだった姉の私は、妹がとても誇らしくまた、合格を確信していた。だから国家試験当日を迎えたとき、合否の心配は全くしておらず、寧ろ家族に医師が増えるのがただ楽しみで仕方なかったのを覚えている。

 

彼女の努力が報われ妹は見事国試に合格し、我が家には新たな医師が誕生した。ここに至るまでの年月は紆余曲折で、家族の絆を試されることもあったが、両親の支えと私たち子どもに注がれる無償の愛、全力応援、そして妹の素直さと絶対にあきらめない根性があったからこそ手にすることができた、家族全員で勝ち取った合格のように感じる。

合格の第一報を聞いてほっとした両親は、娘の前でいることを忘れたかのように大粒の涙をほろほろ流したという。

 

なんでも私のまねっこをする可愛い可愛い妹へ

 

これから待つ医師としての人生は、長く険しい道で、必ずしも楽しくいいことばかりではないと思う。たまには歯を食いしばって耐えなければならないこともある。しんどくて泣きたくなることもある。それでも、いままで机上で得た知識を臨床に応用することの楽しさと、自分の力で患者さんを助けることができた、前よりもいい環境にすることができたときの気持ちというのは何物にも代えがたく、医師としてのやりがいを全身で感じるだろう。

そんな中で私が毎日痛感するのは、謙虚な心を持ち続けることの大事さと難しさだ。

誰しもがゼロからスタートし、失敗と挫折を繰り返し、多くの人に迷惑をかけながら経験し、学び、成長していく。その成長こそが自分の自信になっていくものだが、自信と驕りを決してはき違えてはいけない。私が今医師として、麻酔科医として働けているのは、祈ることしかできないと一番近くで全力で応援し続けてくれた家族、お前なら出来ると背中を押し続けてくれた恋人、一緒に頑張ろうぜと歩幅を合わせてくれた友人、めちゃくちゃなことを言う一生徒の無理を可能にしてくれた教師たち、こんなポンコツ医師に毎日懲りずに付き合ってくれた患者さんとそのご家族、こんな私を医師として雇ってくれそしてまだ医師として働かせてくれている病院、挙げ始めればきりがないほどの人々を巻き込んでやっと医師として今働けている。私が彼らに恩返しをする方法は、毎日の麻酔を真剣に丁寧にかけ、患者さんによい医療を提供するという形で還元することである。そのために毎日勉強し、知識をつけ、今日よりよい自分に明日なっていなければならないと考えている。

だから妹よ、たくさん失敗して、たくさん迷惑をかけて、そこからたくさんのことを学んでほしい。そして今まで支えてくれた人たちに感謝の気持ちを伝えるべく、患者さんに最高の医療を提供できる医師になってほしいと思う。それこそが自分が目指す医師になるための近道だとも思うから。

 

最後に

あなたのお手本になれるようないいお医者さんになるにはまだまだ何もかもが足りない私だけど、私もあなたと一緒に成長していけたらと思う。

 

国試合格おめでとう。本当によく頑張ったね。これからは同じお医者さんとしてよろしくね。

 

破天荒で迷惑ばかりかけている姉より

麻酔科医、8日目。

臨床研修を終えると同時に始まった、麻酔科医としての日々。

 

学生と医者の狭間で、ふわふわとした気持ちで過ごす時期もおわり、ついに医師としての人生がスタートした。

 

研修医2年間のうち、6ヶ月を麻酔科でローテートしてたおかげもあり、一連の流れや操作に関しては体がちゃんと覚えていて、何となく麻酔はかけられる。

 

早速当直もはじまっていて、いままであった2回の当直はどちらも急患が絶え間なくやってきて、あまりの忙しさにまるで神様から洗礼を受けているかのようだった。

 

1つオペが終わったと思ったらまた次のオペが決まり、その間にまた次のオペが決まり、、と、あまりの自分の引きの強さに心底げんなりした。

なんでこんなに休む暇もなく急患がくるのか、、、と。

こればっかりは自分で操れるものでもないからもどかしい。

 

次々にくる急患の海の中で心が沈みきっていたそのとき、友人から連絡がきた。

彼女も三年目で、医者になりたての形成外科医。

彼女も夜中までオペが長引いたり、分院勤務で家から2時間かかったりと、この1週間かなり大変だったらしい。

 

 

その時、ふと思う。

 

 

つらくて大変なのは、自分だけじゃない。と。

 

 

いま私がいる小さな組織の中では、私が一番急患を引いてるかもしれないし、当直も毎回大変かもしれない。

 

でも違う病院で形成外科医として働いている彼女もまた、長時間のオペや、毎日往復4時間の通勤と、慣れない生活に精神的にも身体的にも大変な日々を過ごしている。

 

1人じゃないと、自分だけじゃないと、気付かされたような気がした。

 

自分だけが大変なんじゃない。

みんな順応に、日々の業務に、四苦八苦しながら毎日過ごしている。

 

 

急患の多さに圧倒されて凹んでる場合ではなかった。

 

吸収することが多い今の時期が、一番大変で、しんどいのはみんな一緒。

みんな一緒だから、いまは、文句を言わず、へこたれず、踏ん張らないと。

 

そう気づかせてくれた友人に、とても感謝している。

 

でも。

今日は、お塩を体に撒いてから、寝ようと思う、、、

 

 

 

 

第112回医師国家試験

先週末の2018年2月10日と11日に第112回医師国家試験が行われました。

2日間、400問に変更になってはじめての国試。まずは全国の受験者のみなさま、本当にお疲れさまでした。

 

国試は今でこそ良い思い出として振り返られますが、受験している本人は必死で、張り詰めた空気感の中、毎日不安を抱えながら、負けそうになる自分と戦い続けた3日間だったように思います。

 

国試の準備にふけった医学部6年生の1年間はまるでブートキャンプにでも入れられたかのような1年でした。朝は9時から授業、それが終われば学校で22時まで自習。そのあと家に帰りひとやすみしてから1時まで復習の毎日。それまで、テスト前以外はろくに机にも座らず、勉強をしてこなかったわたしにとっては拷問のような日々でした。

 

“打倒国試”、“打倒卒試”を目標として掲げ勉強し続けた1年間。わたしがなにより恵まれていたのは、絶対に一人ではなかったということ。毎日同じ部屋で勉強し、分からない問題を質問しあい、教えあい、不安な気持ちをこぼせば励ましあい、ああでもないこうでもないと話し合いながら立ちはだかる壁を一歩一歩一緒に乗り越えていった『戦友』たちがわたしにはいました。つらい、しんどい、もういやだ、受かる気がしない、自分の学力が国試に通用するのか不安。どこにぶつければいいのかわからない絶望に近い気持ちを吐き出しては、「わたしも」と、自分だけが不安でしんどいわけではないことを教えてくれ、つらい気持ちを共有することができました。この共有こそが、国試から2年たった今でも鮮明に『よき思いで』としてわたしの記憶の中にしまってある理由だと思います。

 

そんな私も今となっては研修医2年目、楽しい時が流れるのは速いもので、来月で初期研修を修了しようとしています。研修医としての日々は、世間からは少し遅れてやってきた社会人としての第一歩であり、責任と大人としての自覚を問われる厳しい日々てあるとともに、新しい発見と出会いに満ちたとても充実した日々でもあります。医学生が『医者の卵』であるならば、研修医は『孵化したてのひよこ』みたいなもので、右も左もわからない、ひとりでは何もできない、要は上級医の『お荷物』です。そんなわたしたちに対して、「わからないことはかたっぱしから聞けばいい。知らなくても当然とみなされるのは研修医の特権だぞ。」と懲りずに優しく指導してくれた上級医の先生には、ほんとうに感謝しかありません。「研修医時代があるから、今がある。絶対に通る道だから。」と、20年目の先生は言いました。「自分が教えられることは、全部教える。だから、盗め、研修医。」と。先生方がいたから、今のわたしがいます。だから、わたしもこれからつづく研修医たちにも上の先生方がしてくれたように、彼らの「はじめて」や「どうして」に寄り添ってあげられればとこころの底から思います。

 

研修が始まった時点で自分が進む科をすでに決めている人はごく少数で、ほどんどは自分が何科に進むのかを迷いながらローテートしています。わたしもその一人でした。学生の頃に一通りの科を2週間ずつ実習で回ったときに、内科肌ではないことは薄々感じており、かつ、長時間に至るオペや、日夜病院に呼び出されるようないわゆる“ハイパー”な科ではとても働ける気がしなかったので、なんとなく、乳腺外科、産婦人科、形成外科あたりを候補にあげてローテートしていました。といっても、興味がある科だけを回れるわけでもなく、救命救急科や、内科、麻酔科など必修で回らなければいけない科がわたしの病院では決まっていました。面白いもので、自分が全く興味もなかった科でこそ、記憶に残る症例を経験したり、より多くのことを学べたりします。絶対に自分が進まないと思っていた内科で、たくさんの疑問を抱き、一番多くのことを学んだのも事実です。何科であろうど、実際にローテートしてみないと何もわかりませんが、いろんな経験をして、たくさんの先生や同期の話を参考にし、雲がかっている未来を想像しながら少しずつ自分の進む道を決めていくのは、とてもわくわくするものです。

 

来年度の4月から、わたしは麻酔科に入局します。初期研修が始まった時は、麻酔科なんて1mmも考えていなかった科に自分が進む決意をする運びになったことに驚きと、自分らしさを感じています。見た目だけじゃ、何も決められません。ぜひ、いろんな科をローテートしていろんな経験をしてください。やりたいこと、向いてること、なりたいものを突き詰めてていくときっと、自分が進む道が見えてくるはずです。

どの科に進んでも、失敗ではありません。出会いと、経験があるのみです。

全ての出会いを大切に、経験を大切にしながら、自分の未来を見極めていってください。

 

では、もうすでに始まっているであろう、人生の中でもう二度とおとずれない最高の2カ月を目いっぱい羽を伸ばして存分に楽しんでください。わたし自身、この2カ月以上に最高だった思い出は人生の中でありません。

 

本当に、6年間、お疲れさまでした。

御家族のコトバ

奄美大島で研修を始めて半月が経つ。


初めて降り立つ島での生活も少しずつ慣れてきた。


大学病院とは違い、地域の市中病院は軽症の患者も多く、社会的入院の数も少なくない。




そんな中、慢性心不全の患者様が今日未明に亡くなった。

もともとcodeがDNARだったため、心臓マッサージや挿管管理の希望はない患者様。




昨日は海の日で休日。

本日朝までは当直体制のため、今朝未明の急変は当直での対応であった。


主治医のわたしは、彼の御臨終には立ち会えず、わたしの同期が対応してくれた。


それが当直というものではあるが、やっぱりその患者様の最期を診てあげられなかったのは悔いが残る。



自分なりに丁寧に診ていたつもり。

毎日顔を見に行って、口数は少ないなりにもその日の体調を聞き、心不全の症状や経過を確認していた。

心不全の治療はうまく行っていて、そろそろ退院できるかなぁなんて考えていたときの急変だった。


その都度御家族に病状説明をしたり、御家族の希望を聞き入れたりもした。



霊安室で見た患者様の顔は、わたしが毎日見ていた同じ顔をして寝ていて、病院着からお着物に着替えていらした。


病院職員のお別れが終わり、御家族に経緯の御説明をするのも主治医の仕事。


今までの経過。

今回の急変までの経緯。

死因。

全てを、ゆっくりとわかりやすい言葉で、なかば自分を理解させるように話した。


自分でも理解できてないこと、悔いが残ることがたくさんある。

なんでかな、なにがダメだったのかな、どうすればよかったのかな。

考えはじめれば止まらない。



毎日のように会いに来ていた娘様が、涙ぐみながら、わたしに「ありがとう。」と言った。


「先生に毎日丁寧に診てもらえて幸せだったと思う。父の肺が悪かったことも、心臓が悪かったことも、よくわかってたからこうなったこと驚いていないんです。」と。



そして、こう仰った。



「先生はまだ若いから、これからいろんな経験をして、素敵なお医者さんになってね。」と。



この方のお父様に、


わたしはもっとできることがあったのかもしれない。


この方のお父様は、


もう少し長生きできたのかもしれない。



それでも、私にありがとうと感謝してくれた。


そして、素敵な医者になってくれと、励ましてくれた。




このコトバは一生忘れてはいけないコトバ。



この御家族のためにも、わたしはもっと成長しなければいけない。



この御家族の、先生に診てもらえてよかったという言葉に見合う医者にこれから近づいていくためにも。










White Day

3月14日、White Day。当直。

 

救急車の対応に追われ、すっかり忘れていた。

 

一日遅れの昨日、「はい、これ。」と渡され、初めて気づいた。

そっかー!Valentine's Dayに確かチョコあげたんだった!と。

 

 

もうすぐ4年になる。

 

 

れいなピンクのバラのお花。

自分が大好きなミルフィーユのチョコレート。

 

 

自分で選んくれたという事実が一番うれしい。

 

 

どうしようもないことできゃっきゃして

小さいことでケンカして

心無い言葉に傷つき傷つけ

距離感間違って勝手に疲れて

いろんなことを乗り越え、今がある。

 

 

今が心地よい。

 

 

これでいいんだ、って思える。

 

 

お家帰って、お花見て笑うんだ。

「嬉しいなぁ~」って。

 

 

結婚だ、未来だって言われて、すごく不安になったことがあった。

この人と結婚するのかな

いつ結婚するのかな

ずっと付き合ってられるのかな って。

 

 

でもある本に書いてあった。

「不安って言葉を自由におきかえろ」って。

 

 

将来は未知だから不安。

見えないから不安。

 

だけど自由なんだ。

 

なんでも起こりえる未来。

 

わたしの未来は自由なんだ。

 

だから、不安に思うんではなくて、自由であることにワクワクしようっておもった。

 

 

 

私たしは自由。

 

また小さいことでケンカして、

しょうもないことで笑って、

なんかのオケージョンには、お花をちょうだい。

 

 

それが私のシアワセ。

 

I am happy.

いま、とってもhappy。

 

 

 

 

 

 

 

 

New Year's Resolution 2017

2017年、あけましておめでとうございます。

 

 

2016年は国試から始まり、不安とプレッシャーに押し潰されて身も心も2mmくらいの薄さまで追い込まれるような思いで3日間過ごしました。

 

遠くにいても全身全霊で応援してくれた家族。

毎日お弁当を作り、国試会場まで送り迎えしてくれた優しい優しい妹。

大丈夫だ!俺が大丈夫だったんだ、お前もいける!と励ましてくれた先輩方。

大変だと思いますが、絶対乗り越えられると思います。応援してます!とLINEをくれた後輩たち。

そして、しんどいーつらいーできないーもうムリーとぎゃあぎゃあ騒ぎながらも、あと少し、あと少しと一緒に3日間乗り越えた仲間たち。

 

皆んなの力を少しずつ借りて、やっとやっと乗り越えた国試でした。

 

 

そこからはまるで天国のような2ヶ月。

羽が生えたかのように世界中あちこち飛び回り、なにも気にせず、今まで頑張った分、自分の心ゆくまで死ぬ気で遊び尽くした学生最後の2ヶ月でした。

 

 

大学を卒業し、気心知れた仲間たちとバラバラになり始まった研修医生活。

 

大学病院で働き始めた私としては、環境の違いはあまりなかったため順応は早かったものの、社会人としての重圧があらゆる方面からかかってきて、オトナってこういう世界なのか…と圧倒されたのを覚えています。

 

 

初めての自分の患者さん。

初めての医者としてのお仕事。

初めての当直。

 

 

 

全ての初めてに驚き感動しつつも、疑問や葛藤も多く、学生と医者の違い、そして2年目の先生たちとの差を目の当たりにし、国試のために詰め込んだ知識と臨床の違いをひしひしと感じ、自分の至らなさ、足りなさに唖然とする毎日でした。

 

 

できない中にも、自分がやれることを見つけ、できなかったことができるようになり、少しずつ一歩ずつ初期研修医として経験値を積んでいきました。

 

 

 

たくさん注意され、たくさん失敗し、自分で自分に幻滅するような日々を幾度となく経験し、凹んで友だち集め飲みに行き、ひたすらビールと日本酒を飲み、皆んなそんなもんだと開き直ってまた再スタートの繰り返し。

 

楽しいこと辛いことたくさんあった2016年でしたが、清々しい気持ちで迎えられた2017年でした。

 

 

 

2015年1月1日の自分と2016年1月1日の自分では、あまり変化がなかったように思います。

まだまだ学生で、あったとして、国試を控えた心意気があるかないかくらいの違い。

 

 

ですが、2017年1月1日。

 

去年の自分とは確実に違うと感じます。

 

それは、担当させていただいた患者様方

チームとして一緒に働かせていただき、たくさんお世話になったオーベン・チューベンの先生方

医師免許を一応持っているだけのポンコツ研修医にも懲りずに対応してくれるコメディカルの方々

 

その皆様に支えられて得た経験値で、ひとまわりもふたまわりも大きく、深くなれた自分がいるからだと思います。

 

 

自分で本を読んで勉強するより、上の先生に教えてもらった方が頭に入るし、理論よりコツでここまできたわたしですが、今年も人一倍の吸収力を発揮して、去年の自分を驚かすくらい、成長できればと思います。

 

 

 

今年の目標は、

 

Happy

 

 

できることが多くなるにつれて、任せられる範囲も広くなることで、失敗も多くなり、叱られることも、凹むことも多くなると思いますが、経験できることに感謝し、自分が置かれている状況を幸せに思う。

 

支えてくれる人がいることを幸せに思う。

 

 

ポンコツ研修医をそれなりにするよう育ててくれるオーベンコメディカルの方々がいることを幸せに思う。

 

 

同じ経験を分かち合い、文句を言いながらも乗り越えて良き医者を目指せる同期がいることを幸せに思う。

 

 

 

自分を雇ってくれている病院があることを幸せに思う。

 

 

 

こんなどうしようもない人間を頼りにしてくれる人がいることを幸せに思う。

 

 

研修医に身を委ねてくれる患者様がいることを幸せに思う。

 

 

 

驕り高ぶった医者になるのではなく、自分はいろいろな人に医者にしてもらった人だというのを忘れず、常に穏やかで謙虚な心を持ち、Happyな人になりたいとおもう。

 

そして今の自分を幸せに思い、幸せな自分に自信を持つような、強くしなやかな人間でありたいと思います。

 

 

 

 

2017年が素敵な一年になりますように。

日々努力、心から幸せを感じて。